みなさんこんにちは。
べぇでございます。
本日からラジオ配信をはじめました。
妻と徒然に恋愛を語っています。
どうぞ、ごゆるりとお付き合いください。
「人生、恋愛」
みなさまこんにちは。
怒涛のGWが終わりました。
MARUYAは満員御礼。
昨日は休みで、ゆっくりと体を休めることができました。
さて、久しぶりにブログを。
今日は恋愛における「何もしない勇気」について。
タイトルの何もしない勇気とは、恋愛でなにか起こったとき、ただひたすら待つということを意味します。
例えばLINEを例にあげてみますと、
相手からなかなか連絡が来ないとします。
そこで人は焦って追撃のLINEを送ってしまうことがあるかもしれません。
「相手がどうしているのか」
ということをついつい気になってしまうものですが、
意外とそういうときって何もしないのが効果的なこともあります。
人が焦ってなにか行動をしてしまうのは2つ原因があると思っています。
1つは暇。
やたら時間が余っていたり、
仕事が暇だったり。
そういうときは余計なことを考えてしまうものです。
そして、2つ目は孤独。
一人でいるときほど、焦ってなにかをしてしまうことがあります。
まぁこれは恋愛に限ったことではないですよね。
あれこれと一人で悩んでいるときほど、視野が狭くなって、余計なことをしてしまうものです。
何もしないためには人が何かをしてしまう2つの原因を回避することが大事です。
つまり、日常を忙しくして、人と会うこと。
こうすることで、余計なことをする確率は低くなるはずです。
恋愛をしているとあれこれと心配することが多くなります。
しかし、自分が暇と孤独の時間に考えついたことは、
大体外れていることが多いです。
そう、多くが妄想に過ぎないのです。
だから、何もしない勇気を持つこと。
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」
は恋愛でとても重要だと思っています。
またまた、りょうかん氏に動画を撮ってもらいました。
今回は「結婚の意味」について。
またまた、動画を撮ってもらいました。
こんかいは
というテーマにて。
どうぞ、ご鑑賞ください。
友人でYoutuberであるりょうかん氏にインタビューしてもらいました。
今回は
というテーマで話をしています。
どうぞ、ご鑑賞お願いします!
先週末は愛媛県は松山へ行ってきました。
ピースボート時代にお世話になったお父さんに会うためです。
道後温泉入って、お父さんと夜遅くまで話して。
いろいろなことを教えてもらいました。
さて、タイトル。
結婚が持っている社会的イメージはいろいろあります。
結婚式のような華やかなイメージ…
反対に離婚や不自由と行ったマイナスのものもあるでしょう。
ただ、結婚というのはあくまで社会制度です。
その人がその人らしい人生を歩めるかどうか、つまり自由とは本質的に違うと考えています。
今日はそんなお話。
「結婚とはなんですか?」と聞かれた時、みなさんならどう答えるでしょうか?
「結婚は忍耐」
「結婚は人生の墓場」
「結婚をすると自由がなくなる」
ある程度は正しく、ただある程度は間違っている。
というのが私の考え方です。
確かに自分の理想通りのパートナーが現れ、結婚したとする。
だけど、どこか不自由を感じることがある。
そんな経験をすると先程の言葉が出てくるのかもしれません。
私にとっての結婚とは「自由になる」ためにするものだと考えています。
(これを言うと結構「?」という顔をされます笑)
結婚とは相手に愛を送り、そして受け取ること。
相手の存在を認め、自分の存在も認めてもらう。
(なんて恥ずかしいことを書いてますが、割と本気で思っています)
自分らしさを表現する方法として相手がいるのです。
弱みを出したり、自分の考えを共有したり。
ときには話し相手になってもらい、自分をより深く知る。
決して自分が不自由になるためにするものではありません。
結婚したら不自由になったり、束縛されたり。
つまり、自分らしさが欠けるならそんな結婚しないほうが良いと思います。
また、そうしなければ結婚できないと思っているのであれば、一度立ち止まって考えてみるといいかもしれません。
私にとっての結婚の意味は「自由になるため」でした。
ただ、これが正しいというつもりはありません。
大事なのは「結婚とはなにか?」ということを自分に問いかけることです。
だから、ひどい結婚をしても、ひどい離婚をしても、そこから学んで次に活かせれば良いと思います。
(まぁもちろん結婚は契約なので、非常に重みがあることを忘れてはいけません)
どちらにしても必ず学びがあるのです。
立ち上がるのに時間がかかるかもしれませんが、その時は自分のペースで良いと思います。
結婚したら幸せとか
結婚したら満足とか
そういう社会で言われているような結婚観を一度考えてみると、本当の自分の価値観が見つかることがあるかもしれません。
結婚に関するイメージはいろいろなものがあります。
幸せなものからそうでないものまで。
ただ、結婚は冒頭でも述べたようにただの社会制度であり、それ以上に意味はありません。
反対に言えば意味がないからこそ、自分で意味を探す必要があるのです。
そうした先に理想の結婚を始め、自分の理想の人生があるのだと思います。
みなさん、こんにちは。
熱海 恋愛デザイン事務所 所長のべぇです。
4月になったのにすごい寒いですね。
ダウンはまだまだ現役でございます。
さて、タイトル。
最近ある本を読んでいてとても腑に落ちたこと。
私と妻の出会いはこのステップを踏んでいたなぁと。
今日はそんな話。
恋愛相談をしていますと言った時、こういった声があります。
「そもそも出会いが少なくて困っている」
社会人ともなると、なにか行動しない限り基本は会社と家の往復。
出会いも必然的に職場や合コンに限られます。
だけど、職場に自分に合いそうな人はいない…
結局、何も行動しなければ今の現状が未来も続くこととなります。
恋人やパートナーがほしいなら、何かしらの行動をする必要があります。
本には人脈というタイトルで書かれていましたが、そのまま恋人とかパートナーと置き換えてもいいかもしれません。
具体的には以下のステップ。
学生時代やちょっとしたサークル。
また、外に出てみてなにかにイベントに参加してみる。
そういったところで友人を作ってみると人脈が広がります。
昔の友人であれば「最近どうしてる?」の一言で直接会おうとなることもあるでしょう。
友人の中でも特に他の友人と多い人がいるはず。
この友人とより深い関係を続けてみると、さらなる人脈が広がることがあります。
人と出会うためには当たり前ですが、時間と予算が必要です。
これは大なり小なり、お金をかけなければらなないでしょう。
飲食費を始め、交通費。
休日の何時間か。睡眠の代わりに飲みに行くということが大事です。
定期的なイベントを開催していること。
イベントとはパーティのようなものも含まれていますが、ここではちょっとお茶を飲むというような軽いものまで含みます。
複数人が定期的に何かをしていることが大事なのです。
フォローアップとは継続的に連絡を取るという意味。
今の時代、SNSが発達しているから誰かが発信したらコメントをする、なんてことで細いながらでもつながっていられると思います。
私はこのステップを見事に踏んでいました。順を追って説明すると…
私と妻の出会いのきっかけは友人の企画する料理教室。友人とはゴミ拾いボランティアで出会っていました。
その友人はかなり活動範囲が広く、友達も多いスーパーコネクターでした。
料理教室は毎月開催されていました。私はそこに必ず参加し、時間とお金を使っていました。
料理教室というグループは次第に大きくなり、参加人数も増えてきました。最終的には10-20人ぐらい。
facebookページを始め、仲良くなった人とはネット上でもつながっていました。
そして、ある日、その友人が妻(当時は友人)を料理教室に連れてきたのです。
料理教室に通っていたのは、料理をしたかったからではありません。
料理を通じて参加者同士がつながることが楽しかったからです。
つまり、なにか行動をしたいと思った時、そこに楽しさがなければ意味がないと思っています。
恋人がほしい、パートナーがほしいというよりも、まずは自分が楽しいと思うこと、自分が一緒にいて楽しい人とつながることが意外と近道だったりするのだと思うのです。
出会いがないというのはとても多い相談内容の1つです。
いろいろな原因がありますが、人との出会いというのはそんな難しいものではないと思っています。
休日の少しの時間を別のことに投資する。
そうすることで、今までと違った世界が広がっていることがあるのです。
少しずつでいいので行動してみてください。
恋愛相談をしていて気づいたこと。
私は「その人が何をしたいのか」という心の声を聞くことしかできません。
そこにどんな意味があるのか。
それはタイトルのようなことがあるのだと思いました。
今日はそんなお話。
恋愛において自分らしさを欠くことはどれだけ辛いことでしょう。
孤独になったり、不安になったり。
感情的になることもあるかもしれません。
なんだか違和感を感じることもあるでしょう。
そんなとき、どうしたらいいかわからないこともあると思います。
だけど、答えはいつも自分の心の中にしかなくて、私はそれを引き出すことしかできません。
心から紡ぎ出す言葉はその人からしか出ないのです。
決して私から出るものではありません。
そして、その言葉の中に本当の自分が隠れています。
どうなりたいのか。
どんな人生を歩みたいのか。
どんな恋愛をしたいのか。
その吐き出す作業や、悩むことそのものが大事だし、それも含めてあなたらしさだと私は思うのです。
そして、なりたい自分がわかってそうなろうとした時から、本当の自分らしさが見つかります。
全部吐き出して、悩んで、落ち着いて、そこから自分を考えられる。
自分らしさとはそれはさまざまな価値観に埋もれてしまうことが多い。
その多くが「~しなければならない」という言葉。
だけど、本当はそんなものはないのです。
その価値観をすべて取っ払って、残ったものが自分らしさの原石なのです。
あとはそれを磨いていくこと。
そうすると、日常がガラリと変わるのです。
様々な価値観が世の中に溢れています。自分が何者になりたいのか、なんてことは全くわかるものでもありません。
日々、自分の身に降りかかる経験が自分を1つ1つ定義します。
その中で自分が取捨選択することが自分が何者かを決めます。
周りの意見なんて聞いている暇もなく、自分の人生を生きることに最大の価値があると私は思います。
今日は時間があったので映画を一本。
「何者」みてました。
米津玄師の歌が好きなんですが、それが主題歌になっている映画。
感想としては
私も色々気をつけようと思いました笑
(ざっくり)
さて、タイトル。
私自身が恋愛相談で心がけていることの1つです。
恋愛相談において私は話を聞くことしかできないと考えています。
私の恋愛相談は
1:心のデトックス
2:現状の確認
3:未来の想像
というステップを踏むんですけど、一番大事なのは1番目だったりします。
要は心に溜まったヘドロを吐き出して初めて未来を想像できるわけです。
重要度の割合的には8対1対1ぐらいだと思います。
そもそも、恋愛の悩みの答えは私の中にありません。
必ず相談者の心の中にある。
私はそれをすくい出すことしかできないわけです。
そのすくい出す作業が相談のほとんどと言ってもいいかもしれません。
そんな話を聞くときの軸になるのが以下の3つの考え方です。
世の中にある恋愛の悩みにはさまざまな「良い」「悪い」があります。別居はだめだ、不倫はダメだ。年収が高い人と付き合うことが良いなどなど。
ただ、それそのものはその人が持っている価値観です。私がその価値観に対して何かをいうことはできません。
要は私の価値観を相手の価値観と対立させたり、押し付けたりすることはできないのです。
だから「別居婚が良い!」というのであればそれも良いと私は思います
問題はその当事者が自分らしくいられるかどうかなのです。
恋愛の悩みは本当に多岐に渡ります。
私や他の人にとっては全く想像できない悩みでも、相談者にとっては大真面目なことがあります。
相談者がその悩みを持つ原因や背景が必ずあるのです。
そのことまで想像して理解すること。
人と違う考えを持っていても相談者にとっては正義であること。
このことを忘れないようにしています。
全ての人は欠点がありません。
私は特徴だと思っています。
例えば私は英語ができません。
もしかしたらそれを欠点という人もいるかもしれません。
ただ、それは私の1つの特徴に過ぎないのです。
あるのは特徴を基にした役割なのです。
恋愛も同じ。
掃除ができない、家事ができない。
というのは欠点ではなく、特徴と捉える。
大事なのは欠点を欠点と捉えるのではなく、その人の特徴だと捉えることだと思います。
話を聞くことしかできない私ですが、そこに仕事のやりがいを感じることがあります。
知人・友人・家族にも話せないことを私にだったら話せる。
それはきっと私が全く立場の関係ない第三者だからでしょう。
そこに恋愛相談の意味と重要性を感じるのです。
熱海 恋愛デザイン事務所の役割を考えさせられることがありました。
ここに書いたことがきっと、私の原点で忘れてはならないことなのだと思います。
忘備録として今日のブログは終わります。
みなさんこんにちは。
熱海 恋愛デザイン事務所 所長のべぇです。
今日の朝は強風ですね。
これが春一番。春がやってきました。
さて、タイトル。
私は市場調査のために女性誌を読むことがあります。そこでは色々な気づきがあります。
世にある恋愛セミナーとかをみている(といっても私は行ったことないのでなんとも言えませんが)と、私のやりたいことがよりはっきりすることがあります。
そこで出てきた恋愛に努力は必要か?という疑問。
今日はそんなお話。
恋愛に努力は必要か。
いや、必要でしょ!
と突っ込まれそうですが、それについて疑問を投げかけたいと思います。
まずは昨日、妻と考えた努力の定義について。
「努力とは適切な目標に向かって、適切な行動を適切な期間することである」
努力が報われるのはこういうパターンでしょう。
反対に努力が報われないのは目標、行動、期間のどれかが間違っているのです。
例えば目標。
富士山を登る!という目標をセッティングしたけど、気がついたら高尾山に登っている。それも、高尾山に登っていることに気づいていない。
これではいくら登っても富士山に登ることはできませんよね。
恋愛でも同じことがあります。
理想の彼氏と結婚したい!と思っても、理想とは全く違う人と付き合っている。これではいつまで経っても自分の理想の恋愛は難しいかもしれませんね。
その理想に気づくためには、正しい地図とコンパスを用意する必要があるのです。
地図とコンパスは自分の価値観と判断基準と言い換えることができます。
つまり、富士山に登るためには地図(自分の価値観)とコンパス(判断基準)が必要です。
思い通りの恋愛ができないのはこの地図とコンパスがそもそも間違っている場合があります。
それは社会の価値観や誰かの憧れなど、他人の価値観です。
あんな彼氏がいい、こんな結婚がいい。
と描くことはもちろんいいのですが、それが本当に自分の心から来ているかに気づく必要があるのです。
さて、タイトルです。
私個人の考えですが、恋愛に努力は必要ないと思っています。
というか視点の問題で、周囲の人からは努力していると思われてるかもしれないけど、本人はきっと努力と思ってない。
努力の定義に当てはまっている時、人は努力を努力と思わないのかもしれません。
自分の心の声に従っていれば、そんなことを考える暇もなく、夢中だからです。
反対にどこか辛いと思ったり、苦しいと思ったのであればそれはどこかが間違っているのかもしれません。
目標、行動、期間、地図(価値観)、コンパス(判断基準)。
これらを一度立ち止まって考える必要があると思うのです。
自分の登る山が適切か。また、そのための準備はできているか。
それらが自分では意外とわかっていないことがあるのかもしれません。
私はその準備をする役割があると思っています。